シムーン #26 (最終回) 「彼女達の肖像」

なるほど、こう来ましたか。どんな最終回が来るのか、ああでもない、こうでもないと考えている一週間は本当に楽しかった。そしてやってきた最終回は、予想の大部分を裏切りつつ、それでも見てしまえば必然のエピローグでした。
予想が外れた主要因は、広げた意味ありげな伏線やSFテーマを、(全て回収することはないだろうとは思っていましたが)、まさか全部ぶん投げるとは思ってなかった点です。でも、「意味などという言葉に、なんの価値もないのです」というセリフが象徴するように、少女たちの選択の物語には、それらを描く必要はありませんでした。放棄されたサブテーマを惜しいとは思わなくもないですが、メインテーマでこれほど深みのある地点まで到達し、そしてあのラストシーンを見てしまったら、もうこれ以外ないやという気分です。スタッフの皆様、素晴しい作品をありがとう。お疲れさまでした。

構成

翠玉のリ・マージョン後のアーエルとネヴィリルについて全く触れなかった点も予想外。いい意味で裏切られました。代わりに描かれるのは、大人になることを選択した者たちの後日談、そして、少女で居続けることを選択した者たちのその後。
大人になった者たちは、それぞれの選んだ道で日々の生活を送っています。宮国は敗戦後、礁国、嶺国の分割統治を受け、その礁国と嶺国の間では戦争が勃発しようとしているという苦しい社会状況も垣間見せつつ、その中でそれぞれの立場を全うする「大人」になっています。喜びも悲しみもある、市井の人生。
永遠の少女たることを選んだユンは、泉で一人、少女のまま隔絶された生を送っています。そして翠玉のリ・マージョンで約束の地に降り立ったドミヌーラとリモネでしたが、辿り着いた先とて、決してユートピアではありません。オナシアと同じく、少女で居続けることの呪縛から逃れられない二人。
正しい選択なんてものはなく、それぞれが選んだ道を足掻きながら進む彼女達の生き様 (肖像) が、それぞれに見せる美しさ。ここに辿り着くための2クールだったんだなあと思うと、感無量です。
最終回は、アーエルとネヴィリルがアルクス・プリーマを脱出してから翠玉のリ・マージョンを描くまでと、数年後の各キャラの描写が折り重なる複雑な構成。そしてラストの湖に沈んだアルクス・プリーマでの幻想的なシーンへと繋がります。各シーンをセリフ、ロケーション、シチュエーションのどれかで繋いでいく手際は芸術的と言っていいですね。

逃走後

アーエルとネヴィリルの逃走を幇助したことを詰問されるアヌビトゥフとグラギエフ。

「意味などという言葉に、なんの価値もないのです」
「我々が今、意味を見付けることは可能です。しかし意味を見出したとすれば、彼女たちは選ばなかったでしょう」

この言葉を聞いた嶺国高官は、古代シムーンでアーエル・ネヴィリル機を追わせ、朝凪のリ・マージョンで二人を送り出します。

「私にも、その時があった。皆、少女だった」

この言葉を呟くのが髭面の壮年というのが凄い。そして、かつて少女であった男たちが見守る中、翠玉のリ・マージョンで旅立つアーエルとネヴィリル。やはりここ一番での音楽の使い方が素晴しい。どこか寂しそうなワルツの調べから、「しよう」「ええ、やりましょう」を契機として解放感あふれるクライマックスへと繋がります。

モリナス (ワポーリフ、ワウフ)

お腹の大きいモリナスはワウフの元で働いています。お相手はもちろんワポーリフで、お腹の子はもう二人目の模様。ワウフは今はメッシスを使って運送業でも営んでいる様子。泉で男になり、号泣した元巫女、エリフも登場。
そして子持ちになっていたワウフ。そうか、メッシスの食堂のおばちゃんと結婚したのか。後で10話でも見直して、子供がどっちに似てるか確かめよう、なんて思っていたら、AS様のとんでもないネタ明かしが。ヴューラの元パル (仮名:アイちゃん) だとおぉ!許せん。うらやましすぎる。まあ格好良かったからな。

パライエッタ、ロードレアモン

パライエッタは孤児院を開いています。穏やかな表情が人間の成熟を感じさせますね。
ロードレアモンは政治っぽい仕事に就きつつ、パライエッタに協力。再び伸ばした髪を、マミーナと同じ形に結っています。

カイム、アルティ

姉妹は成長しても姉妹のまま実家で生活。このまま二人で一緒に生きていくのでしょうか。ややふっくらしたアルティが印象的です。

ユン

一人、今も変わらぬ姿のユン。彼女が呟く「ドミヌーラ」は、明確な解釈ができませんね。ドミヌーラ=オナシア説?

ドミヌーラ、リモネ

翠玉のリ・マージョンで過去に飛んで数年、すっかり大人らしい姿に成長したリモネ。一方のドミヌーラは、やっぱり外見は若くなってないですか?ドミヌーラは体調が優れず、伏せりがちな様子。一方のリモネもオナシアと同じように粉をふきはじめており、彼女らの身に性別を選ばないことによる副作用が降りかかっていることを伺わせます。それでも、再び翠玉のリ・マージョンで飛び立つことにする二人。
アーエル・ネヴィリル機の幻影を見たリモネは、「アー・エル」の意味をこの時代の人に伝えます。絵に描いたようなタイム・パラドックスですが、まあ好きに解釈せいってことでしょうね。

フロエ (フローフ)、ヴューラ (ヴュラフ)

男になった二人。やたら男前で困ります。フロエはてっきりハーレムでも作ってるのかと思いきや、アルクス・プリーマが見えるところで農夫やってました。かわいい嫁さん募集中。二人には召集令状が来ていますが、フロエは分割統治の嶺国側、ヴューラは礁国側で、戦場で会えば敵同士。「また」ではなく「さよなら」で別れます。

アヌビトゥフ、グラギエフ

おそらくは敗戦後の武装解除の一環として、湖に沈められたアルクス・プリーマ。対岸からそれを眺めるイケメン二人。

「いい風だ」
「ええ。いい風です」

ちょっと。君ら最後に出てきてそんな美味しいところを。しかも何その怪しすぎる格好。眼鏡なんかかけやがって。

アーエル、ネヴィリル

「なぜ、あんなにも僕たちは拘っていたのか。アーエルとネヴィリルを違う世界に送り出すことに」(フロエ)
「それは、逃れることのできない時間の流れに逆らいたかったから」(ロードレアモン)
「大人になるのが怖い。少女のままでいたい。その思いを、二人に重ねたから」(アルティ)
「いや、きっと違う」(カイム)
「俺たちは、ただ刻みたかった」(ヴューラ)
「自分たちは、確かにここにいたんだと。大声で叫びたかった」(モリナス)
「自分たちは、確かにここにいたということを」(ユン)
「刻みたかった。抗いたかった」(パライエッタ)
「アーエル、ネヴィリル。君たちは、今頃どこにいるのだろう。僕たちの、永遠の少女は」(フロエ)

アーエルとネヴィリルは、それぞれの道を選んだ彼女らの少女時代 (思春期、と読み換えてもいいか) の思い出の結晶として、今もあの時のままの姿で、彼女らの思いの中にいるんですね。翠玉のリ・マージョンを行ったアーエルらがどこに行ったのかは、もはや問題ではないので、語られずに終了。視聴者に任されました。
二人のシムーンの影をモリナスとリモネが見ていますが、それが実在の姿なのか、彼女らの二人への思いが見せる幻影なのかさえ定かではありません。どこかに辿り着き、ドミヌーラたちのように少女の呪縛を背負って (長くはない生を) 生きたのか、翠玉のリ・マージョンを繰り返してあちこち飛び回っているのか、文字通りテンプス・パティウムの側に行った (天国かどこかに行っちゃった) のか、ありとあらゆる時代と場所に遍在する存在となったのか。解釈のしようはいくらでもあります。
ラストシーン、廃墟となったアルクス・プリーマの舞踏室で踊るアーエルとネヴィリル。これも、実際に戻ってきて踊ったのか、皆の願望が見せる幻影なのか。破れたカーテンが元に戻り、舞踏室の様子がいつのまにか在りし日の姿になっていくところが幻影なのは、間違いないところだと思いますが。

壁画

最後に写るのは、パライエッタがアルクス・プリーマの壁に残したラクガキ。あんな大作だったとは。ネタ満載で実に楽しい絵ですね。ちゃっかり自分は描き直して側にネヴィリルを配置してますし。いやしかし、パラ様がこんなコミカルな絵を描きますかね。永遠の少女、AS様がパラ様に乗り移ったとしか思えません。

作画

ここ一番に最高の作画で応えましたね。ほぼ全キャラ顔も服も変わっているという極悪な状況の中、よく頑張ったと思います。総作監西田亜沙子作監にも立ち、作監4人体制。アップのカットを中心に、かなりのカットが西田絵になっていますが、顔に寄ったカットでは西岡忍絵になるのが面白いです。


全体の総括はぼちぼちやっていきます。