地獄少女 二籠 #26 (最終回) 「あいぞめ」

最終回に放火というのはもはや伝統なのか、1期と同様ぶっ飛んだ最終回でしたね。
蛍の依頼を受け、拓真を地獄流しの船に乗せる閻魔あい。しかし、周囲の者たちの悪意を一身に受け、人身御供として地獄に送られる拓真にかつての自分の姿を重ねたあいは、拓真を流せずに現世に戻してしまいます。現世に戻った拓真は、ついに町の者たちへの復讐を決意。しかしその手段が隣家に灯油をまいて放火って、えー、なんで!? 1期の閻魔あいが寺を焼いたのは、その寺があいのために建立されたものであり、仙太郎への恨みを断ち切った証しとしてその意図を理解できるんですが (迷惑だけど)、今回の放火は一体なんの解決になるんだ。村に火をかけたあいの行動とシンクロさせるという演出意図は分かるんですが、無理矢理だなあ。
ともかく拓真は近隣住民のリンチを受けます (これには住民たちの気持ちもわかる、とちょっと思ってしまった)。そこに現れたもはや地獄少女ではなくなったあいが、住民たちを止め、拓真を連れ去ろうとしますが、今度はそんなあいを住民たちが集団リンチ (なぜだ!)。それを甘んじて受け、こと切れたあいは桜の花びらとなって散って行きます。かつては怒りにまかせて村人全員を殺したあいが、今度は村人=住人の蛮行を許したことで、ようやく地獄少女の責から解放されたと。うーん、理屈は分かるんだけど、モヤモヤするなあ。まあこの居心地の悪さこそ地獄少女、という言い方はできます。
結局囚われていたあいの両親の魂は天国へ。しかしあい自身は、あの描写だと地獄行きだったんでしょうね。三藁は役目から解放されて、それぞれ現世に散って行きます。拓真の父親は退院 (拓真の放火はもみ消せたのか?)、蛍も一命を取り留めます。すっきり終わるかに見せかけて、最後に地獄通信自体は生きているという描写を見せる終わり方は、実に地獄少女らしくて良かった。どこかで二代目が生まれたんですね。
二籠のシリーズとしての最大の興味は、1期のラストで (続編のために) 地獄少女の役目から解放しそこねた閻魔あいを最後にどうするのかという点にあったわけですが、そこにきちんと結着をつけてくれたのは良かった。第3期への未練もすっぱり断ち切ったということで。さすがに2代目地獄少女で新シリーズとかないですよね。
きくりの正体は1期に出ていた三つ目の蜘蛛で、地獄のお偉いさんの使い魔でしたと。言われてみれば、袖口からふんどしを発射したりするのは確かに蜘蛛っぽかったなあ。終盤の展開にきくりが干渉していたということは、閻魔あいが己の恨みを断ち切っていたかどうか、地獄のお偉いさんがきくりを通して試していたということなんでしょうね。

総括

半年間色々と楽しませてもらいましたよ。スタッフの皆様、お疲れさまです。1期と比較すると各話単位での粒が揃って毎回それなりに楽しめるようになった反面、飛び抜けた回が出なかったなあという印象。まあしかし、続編はパワーダウンしてしまうのが当り前と言われる中、なかなか幸せな第2期だったと思います。数は減ったもののパワーアップしたコント、エスカレートしていく閻魔あいいじりも楽しかった。印象に残っているのは完成度の高い1話、大胆な構成の11話。あとはナツコ節全開の3話千葉繁回の10話、裸祭回の19話

作画

作画面では1期よりも大きく向上しました。いわゆる萌え絵とは違う方向性を持った岡真里子の魅力的なキャラデザ、耽美で凝った画面作りといった1期からの長所はそのままに、岡真里子総作監にも座ったことで格段に作画のブレが小さくなり、安定して上質な作画を提供できるようになりました。
キャラで見ると、やはり新キャラのきくり。キモいと可愛いの境界線上のきくりを、最後までそのままに描き続けたのが凄い。閻魔あいも初めて見た時にはずいぶん挑戦的なキャラデザだと思いましたが、更に挑戦的でしたね。
各話を見れば、岡真里子作監の1話がやはり一段抜けた作画で、後はわたなべひろしが絵コンテ・演出した10話が、色彩等いろいろ遊んでいて面白かったです。全体としては緩やかな下降線を辿っていたと思いますが、総じてディーンの長所がよく出た良作画でした。

脚本

脚本は、前半のテンションの高さは本当に素晴らしかったですが、脚本家が一通りネタを出し切ったのか、中盤以降そのテンションを保てなかったのは残念でした。各話単位での完成度は平均すれば1期よりもだいぶ上がっていたと思いますが、地獄流しそれ自体の是非をテーマにしていた1期に比べると、全体を通した力強いテーマがない分、牽引力が落ちていたように思います。そして柴田親子の第三者視点がなくなって、ストーリーの幅が出しにくくなり、煉獄少女回のような飛び抜けた回が出てこなかったのも残念。